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明治生命館内観 その2

明治生命館、次は1階へ。なんとも立派な大理石張りの階段。

吹抜けの空間は現役で使用されているお客さま相談センター。
 

応接室。

天井の八角形のくぼみと丸い花型飾り。

この床の大理石はイタリア北部産のロッソブロッカテロ。中世代ジュラ紀(約2億年前~1億35百年前)のものなのだそうです。

したがってアンモナイトの化石が所々に。

現役の営業スペースなので、一般公開は土曜日と日曜日のみ。入場無料で、撮影も商業目的でなければOKです。

明治生命館ホームページ http://www.meijiyasuda.co.jp/meiji_seimeikan/  
東京都千代田区丸の内2-1-1
開館時間 土曜日・日曜日11時~17時、ただし12月31日~1月3日およびビル電気設備定期点検日は休館

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[ 2013年01月31日 07:53 ] カテゴリ:建築探訪~その他 | TB(0) | CM(0)

明治生命館内観 その1

明治生命館、1階、2階の一部が一般公開されています。

まずは2階までの吹き抜けの空間を囲む2階回廊を歩きながら。。。。

会議室はアメリカ極東軍司令部として接収されていた時に、米・英・中・ソの4ヶ国代表による対日理事会が開催されていた場所。

会議室隣の控室。

食堂と暖炉
 

執務室と隣接の応接室。南西側の角、皇居前広場に面した場所にあります。
  

健康相談室。昭和13年(1938)に生命保険会社の社会貢献の一環として設けられ、当時最新鋭であったドイツ製の心電図計が導入されていました。

次は1階です。

明治生命館ホームページ http://www.meijiyasuda.co.jp/meiji_seimeikan/  
東京都千代田区丸の内2-1-1
開館時間 土曜日・日曜日11時~17時、ただし12月31日~1月3日およびビル電気設備定期点検日は休館

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[ 2013年01月30日 08:09 ] カテゴリ:建築探訪~その他 | TB(0) | CM(0)

明治生命館

東京都千代田区、日比谷通りの馬場先門交差点の近く、30階建てのビルは明治安田生命の本社ビルです。平成16年(2004)に竣工した明治安田生命の本社機能と商業施設で構成されています。

高層ビルの手前、日比谷通りに面した古典様式のビルは昭和9年(1934)に竣工した社屋、現在は明治生命館と呼ばれています。明治生命館の敷地と隣接する敷地を合わせて一体で開発を行ったため、後ろのビル建築には通常より高い容積率が認められたわけですね。

指名コンペ方式で、意匠設計は岡田信一郎の案が採用されました。岡田信一郎は yukimi's blog で過去に登場した中では、 大阪市中央公会堂 の設計原案や文京区の 鳩山邸 の設計を手掛けています。昭和5年(1930)に起工、昭和7年に岡田信一郎は急逝しましたが、その後は実弟の岡田捷五郎が設計監督を務めました。

構造設計は東京タワーなどの設計を手掛けた内藤多仲。

太平洋戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が接収、米極東空軍司令部として使用されましたが、昭和31年(1956)に米軍から返還されました。

外観は5層部分を結ぶコリント式の列柱が並ぶ古典主義様式。

柱頭部のアカンサスの葉飾。

平成9年(1997)、昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けました。土曜日、日曜日は館内の一部が一般公開されます。

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[ 2013年01月29日 07:48 ] カテゴリ:建築探訪~その他 | TB(0) | CM(0)

和田倉公園レストラン

和田倉噴水公園の和田倉休息所内のパレスホテル直営のレストランです。
 
 

大きな窓ガラスの外は公園の噴水と皇居の巽櫓が。

ディナーは要事前予約、ランチは平日はブッフェのみ、土日祝日は日替りランチがあります。

今日の料理はチーズハンバーグ。

ブライダル等で貸切営業の時もあるので事前に電話確認を。

和田倉噴水レストラン ホームページ http://www.w-funsuikouen-r.com/  
東京都千代田区皇居外苑3-1

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[ 2013年01月26日 08:11 ] カテゴリ:グルメ~都内 | TB(0) | CM(0)

丹下健三メモリアル8 和田倉休息所

 

東京駅から皇居を目指して日比谷通りを渡った右側にある和田倉噴水公園は、昭和36年(1961)に天皇皇后両陛下の御成婚を記念して作られました。その後、平成7年(1995)に皇太子殿下の御成婚を記念して再整備されました。

 

丹下健三設計の3つの弧が連なる建物は、右からレストラン、無料休息所、トイレ。
 
 
 
 

やはりレストランが気になる食事

【関連記事】
2009.3.20 丹下健三メモリアル1 国道246号編
2009.3.21 丹下健三メモリアル2 湾岸編、丹下健三メモリアル3 新橋・田町編
2009.3.22 丹下健三メモリアル4 文京区編
2009.3.23 丹下健三メモリアル5 代々木編   
2009.3.24 丹下健三メモリアル6 新宿編
2010.3.22 丹下健三メモリアル7日光東照宮客殿・新社務所 

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[ 2013年01月25日 07:49 ] カテゴリ:建築探訪~丹下健三 | TB(0) | CM(0)

皇居外苑

皇居お堀端をお散歩。

桔梗濠と桜田二重櫓(巽櫓)。奥に富士見櫓がちょっとだけ見えます。
 

桔梗門(内桜田門)。門をくぐってすぐの所に皇宮警察本部があります。

蛤濠。奥は宮内庁。

そして、国内的にも世界的にも有名なアングル。正式には正門石橋といい、江戸城の頃は西の丸大手橋という橋が架かっていました、現在の石橋は明治20年(1887)建造。

石橋を渡ったところが皇居正門。江戸城の西の丸大手門です。

奥の鉄橋がいわゆる二重橋。江戸城の西の丸下乗橋のあった位置で、かつて水面からの高さが高いため橋桁が二段重ねの構造だったので二重橋と呼ばれるようになりました。現在の鉄橋は昭和39年(1964)に架け替えられたものです。

振り返ると皇居前広場の向こうに丸の内のオフィス街が一望です。どんだけ広いんだか。。。

かつては丸の内のビルの中でも比較的に高層だった東京海上や日本郵船のビルがこんなにも小さく見えるとは。。。。

まさに「三菱地所を、見に行こう。」状態。

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[ 2013年01月24日 08:11 ] カテゴリ:お出かけ | TB(0) | CM(0)

赤プリ解体中

解体ビルシーリズというわけではありませんが。。。。

東京都千代田区紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂(旧赤坂プリンスホテル)新館も解体工事中(平成24年1月19日撮影)。

りそな・マルハビルは下の階から解体していくのに対しこちらは、既存の屋根を利用した閉鎖された囲いの中で、内部の躯体などを分解していきながら解体し、システム全体を降下させ、あたかも建物が縮むように解体していく仕組み。大成建設が開発したテコレップシステムという工法だそうです。

解体工事は平成24年(2012)6月から本格的に開始され、今年の5月くらいまでには終了する予定。

旧館の旧李王家邸は保存されるそうです。

在りし日の赤プリ。(平成21年2月撮影)

解体後はあらたにオフィス・ホテル棟と住宅棟が建つ計画になっています。
表参道のハナエモリビル、紀尾井町の赤プリ。また丹下健三の作品が消えていくぅ。。。。

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[ 2013年01月23日 07:47 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)

りそな・マルハビル解体中

東京都千代田区大手町、永代通りの突き当り、江戸城大手門に近いこの場所は姫路藩・酒井雅楽頭邸がありました。

大洋漁業(現マルハニチロ)が建築主となり昭和53年(1978)に竣工した大洋漁業ビル。当初から大洋漁業本社と協和銀行本店が入居し、両社の商号変更により現在は、りそな・マルハビルと呼ばれていました。
マルハニチロは豊洲、りそなグループは木場に移転し、三菱地所による再開発計画「大手町1-1計画(仮)」のため解体中です。

解体は請負会社の鹿島建設が開発した鹿島カットアンドダウン工法という下のフロアから徐々に壊し、ジャッキで下げ、だるま落としのように崩していく工法なのだそうです。1フロア/3日のサイクルで進み、今月中に終了する予定です。
現場の搬出口が開いていたので中の模様が少しだけ見られました。24階建、高さ107.95mあったビルもあと数フロアだけに。
  
  
 

りそな・マルハビルの隣の三菱東京UFJ銀行大手町ビルもシートが。こちらも解体され新たに高層ビルが建つそうです。

合併する前は三和東京ビルとして、三和銀行の東京本部、東京営業部でした。1階の営業フロアが体育館みたいに広く、天井が高かった記憶があります。年始の挨拶の時は最上階でます酒を振舞ってもらえるのですが、皇居を至近で見下ろした光景が貴重でした。

丸の内に次いで大手町も変貌していってます。

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[ 2013年01月22日 08:04 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)

瑞泉寺

錦屏山瑞泉寺 (京急バス鎌20系統 大塔宮バス停下車徒歩15分)

鎌倉宮から先、更に徒歩15分ほど、紅葉ヶ谷と呼ばれる谷戸にある臨済宗円覚寺派のお寺です。昔からの石段は苔生し、長年の往来にすり減り、現在は右側の新しい階段を上ります。
 
 

瑞泉寺は鎌倉公方の菩提寺として、鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327)に夢窓疎石を開山として創建したお寺。鎌倉五山に次ぐ関東十刹の筆頭に列せられる格式をもちます。
 
  
 

四季を通して様々な花を楽しむことが出来るため、鎌倉随一の花の寺として知られています。紅葉が終わり、年が明けると椿や水仙が咲くそうです。
 

夢窓国師といえば名庭師と知られ、瑞泉寺の方丈書院の庭園も夢窓国師の設計。長らく埋もれていたものを、古図面と発掘調査の結果に基づいて昭和45年(1970にほぼ創建当初の地割に従い復元しました。

岩盤の大きな洞は水月観の道場で天女洞と名づけられ、洞の前に掘られた池は貯清池と名づけられています。池の中央は掘り残して島があります。

右手には垂直の岩壁に滝があり、滝壺に水分け石があります。滝の上には貯水槽があって天水を蓄え、必要に応じて水を落とせば坐雨観泉となる仕掛けになっています。

左手には二つの橋が架かり、渡ると池の背後の山を辿る園路に通じます。
 

非公開ですが、園路を山頂まで登ると鎌倉周囲の山並や、遠くには箱根の山々や大きく裾を広げる霊峰富士、そして自然の池かのような相模湾が、借景の大庭園かのように広がるそうです。ここに夢窓国師は徧界一覧亭という小亭を建てました。

瑞泉寺 ホームページ http://www.kamakura-zuisenji.or.jp/

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[ 2013年01月21日 13:46 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(2)

荏柄天神社

特にセンター試験の日だからというわけではありませんが。。。。

荏柄天神社 (京急バス鎌20系統 天神前バス停下車徒歩3分)
〈御祭神〉菅原道真公

金沢街道から分かれて鎌倉宮へと向かう道の中間くらいに参道があります。参道の途中、鳥居の前の二つのビャクシンの木がクロスするように立っています。
 

創建は長治元年(1104)、晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天から降り、神験をおそれた村の人達が社殿を建ててその画像を納め、祀ったことにに始まります。
境内の高さ25m、同回り10mほどの大いちょうは、天神画像が降ってきた地を踏まれないようにと植えられたものと伝えられています。

荏柄天神社は、太宰府天満宮、北野天満宮と共に三天神社とも称される古社で、鎌倉に幕府を開いた源頼朝は荏柄天神社を幕府の鬼門の守護社として社殿を造営しました。

現在の拝殿は関東大震災後に再建したものですが、拝殿の奥、写真左の本殿は寛永元年(1624)に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したもの。
 

梅が咲く季節ももうすぐ。

荏柄天神社 ホームページ http://www1.kamakuranet.ne.jp/egara/

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[ 2013年01月20日 10:23 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

鎌倉ハンバーグ

鶴岡八幡宮前の道を鎌倉宮や杉本観音の方向へ、金沢街道を歩いていくと岐れ道バス停手前に「鎌倉ハンバーグ」という看板があります。

鎌倉ハンバーグと看板には書いてありますが、店名は 鎌倉 雪ノ茶屋 と言うみたいです。

ハンバーグは黒毛和牛を100%使用、柔らかくてジューシー。

入口横のケースに多くのケーキが並んでいました。今回はその中からシフォンケーキを。

鎌倉 雪ノ茶屋 
鎌倉市神奈川県鎌倉市雪ノ下4-2-23 京急バス鎌20・23・24・36系統 岐れ道バス停下車すぐ
営業時間10:00~20:00(LO) 水曜日のみ~15:00

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[ 2013年01月19日 08:22 ] カテゴリ:グルメ~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

鎌倉宮

鎌倉宮(京急バス鎌20系統 大塔宮バス停下車)
〈御祭神〉護永親王

鎌倉駅から大塔宮行のバスで終点。バス停前が神社への入口です。笠木のみが朱色に塗られている白い鳥居が印象的です。

祭神は護良親王。後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現しましたが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられてかつてこの地にあった東光寺に幽閉され、建武2年(1335)に尊氏の弟の足利直義の命により家来である淵辺義博によって殺められました。


鎌倉宮の創建は明治2年(1869)と近世になってからで、明治天皇が武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した護良親王の功績を賛え、神社の造営を命じたことによります。
 

明治6年4月16日に明治天皇は鎌倉宮を行幸され、御座所は現在では宝物殿となっています。

本殿後ろにあるのが、護永親王が9ヶ月間幽閉されていたと伝えられる土牢。

拝殿には大きな獅子頭が。これは護良親王が戦に赴く際、兜の中に獅子頭のお守りをしのばせて、自らを守っていただいたとの言い伝えからくるもの。

「獅子頭守」は鎌倉宮創建当初から授与されているそうです。

鎌倉宮 ホームページ http://www.kamakuraguu.jp/

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[ 2013年01月18日 08:06 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

宝戒寺

金龍山釈満院円頓宝戒寺(JR横須賀線鎌倉駅徒歩13分)

鶴岡八幡宮三の鳥居前の道を右に行った突き当りに位置します。

寺域は北条義時以来の歴代の鎌倉幕府執権の屋敷地跡。元弘3年(1333)、北条氏滅亡後その霊を弔うため、また国宝的人材を養成、修行のための道場として後醍醐天皇が足利尊氏に命じて建立させました。

本堂には貞治4年(1365)に三条仏師憲円作の子育経読地蔵大菩薩や脇立の帝釈天や梵天像などが安置されています。

右は聖徳太子を祀った聖徳太子堂、左は第14代執権で新田義貞の鎌倉攻めの時に自刃した北条高時を祀った徳崇大権現堂。

大聖歓喜天堂には二世普川国師惟賢和上が国家鎮護のため1333年に造立した大聖歓喜双身天王が祀られています。秘仏で日本最大の木像天なのだそうです。

本堂前のビャクシン(柏槇)は東久邇宮御手植え。
 

宝戒寺は「萩寺」としても有名。境内一面に白い萩が咲く秋のお彼岸の頃が楽しみです。

宝戒寺 ホームページ http://hokaiji.com/

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[ 2013年01月17日 08:39 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

英勝寺

東光山英勝寺 (JR横須賀線、江ノ電鎌倉駅徒歩17分)

横須賀線の線路沿い、東京方面から横須賀線で行くとトンネルを出て鎌倉駅到着の目前、右側に見えます。

英勝寺は浄土宗の寺院で、現在、鎌倉唯一の尼寺です。扇谷上杉家の家宰であった太田道灌の屋敷跡地だそうです。

徳川家康の側室の一人で、太田道灌の曾孫・康資の娘、後の初代水戸藩主 徳川頼房の養母でもあるお勝の方は、家康の死後、出家し英勝院と号しました。その後、3代将軍 徳川家光から太田家ゆかりのこの土地を賜り、寛永11年(1634)に菩提寺としたのが始まり。寛永13年(1636)に寺が完成すると英勝寺と名付け、徳川頼房の娘、小良姫を玉峰清因と号し開山に迎え、その後も代々の住持は水戸徳川家の姫が務めました。

山門は英勝院尼一周忌の直前に、水戸光圀の兄である讃岐高松藩主 松平頼重が造営。関東大震災で倒壊し、山王ヶ谷の資産家に買い取られましたが、平成13年(2001)に英勝寺に買い戻されて復興工事が行われました。

仏殿は、寛永13年(1636)に建てられたもの。堂内に鎮座する本尊の阿弥陀如来立像は徳川家光寄進によるものといわれています。

唐門は、英勝院の墓廟である祠堂への門。門の奥、石段をあがったところに建つ鞘堂の中にあるのが祠堂。徳川光圀によって建てられ、完成の折には光圀も来訪したそうです。

裏手の竹林は、水戸徳川家から代々の住持として迎えた姫の住まいがあった場所で、姫御殿跡と呼ばれています。

英勝寺はまさに水戸御殿、水戸さまの尼寺と呼ばれ大名屋敷並みの扱いだったそうです。材木座の光明寺の住職に学ぶため、光明寺へ向かう尼君の行列は100人余りの従者がいたそうです。

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[ 2013年01月16日 13:52 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

源頼朝のお墓、白旗神社

鶴岡八幡宮の東、ここにはかつて源頼朝の館のあった大倉御所の北隅に位置し、源頼朝が石橋山の合戦に当たって髻(もとどり)の中に納めて戦ったという小さな観音像を安置した持仏堂がありました。

源頼朝の死後は、法華堂と呼ばれ、頼朝はここに葬むられていました。現在の墓石は安永8年(1779)に、薩摩藩主 島津重豪が建てたものです。
今は雑木林の中にぽつんとたつお墓の周囲は、静寂な空気のみ。
 

明治維新後、神仏分離令により法華堂は廃止され、明治5年(1872)に、源頼朝を御祭神とする白旗神社に改められ、お墓への石段脇に社殿が建っています。
  

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[ 2013年01月15日 07:59 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

寿福寺

亀谷山寿福金剛禅寺 (JR横須賀線、江ノ電鎌倉駅徒歩15分)

臨済宗建長寺派、鎌倉五山第3位の寿福寺です。

源頼朝が没した翌年の正治2年(1200)、妻の北条政子が源頼朝の父義朝の屋敷跡のこの地に創建しました。お寺の裏手には北条政子と子で鎌倉幕府3代将軍の源実朝の墓と伝えられる五輪塔を納めたやぐらがあります。墓地には陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎の墓があります。

山門からまっすぐ参道がのびます。

普段は写真正面の中門前までの公開。今回はお正月シーズンということで門をくぐって中まで。

仏殿は寛文4年(1664)の再建、本尊の釈迦三尊像が安置されています。

境内には大きなビャクシン4株生えており、鎌倉市の天然記念物に指定されています。

こちらのお寺に来たのも中学校でのグループで移動する遠足以来、30年ぶり。何となく当時の記憶が戻ってきたような。。。。

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[ 2013年01月14日 08:07 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

相馬天王

八坂大神(相馬天王) (JR横須賀線、江ノ電鎌倉駅徒歩10分)
〈御祭神〉素戔雄尊、桓武天皇、葛原親王、高望王

今度は横須賀線の線路沿いを北鎌倉方向、扇ガ谷へ。そうすると道端に八坂大神(相馬天王)と記した神社の鳥居が。立派なお寺や神社が点在する鎌倉の街だからこそ、こういう小さな社に足を止めてしまいます。

起源は建久3年(1192)千葉常胤の子 相馬氏初代当主 相馬次郎師常が自宅の守護神として勧請したのが始まり。以来、扇ケ谷の鎮守様として崇敬されながら、何回かの移転を経て当地へ。明治維新の神仏分離令により八坂大神と改称されました。
 

お神輿は宗社の京都・八坂神社のお神輿を伝承した六角神輿だそうです。

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[ 2013年01月13日 07:58 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

蛭子神社

蛭子神社 (JR横須賀線鎌倉駅徒歩5分)
〈御祭神〉大己貴命

本覚寺前から八幡宮方面へ200mほど歩くと鳥居が見えます。

本覚寺境内にあった夷堂は、明治時代に入り神仏分離令によりこの地に移つされ、この地区の鎮守である七面大明神、山王台権現と合祀されて蛭子神社となったわけですが、昭和56年(1981)に本覚時境内に夷堂が再建された後も、神社はこの地域の鎮守として地元の人々に崇敬されています。

8月中旬の日曜日が祭礼の日。お神輿は若宮大路を越え、鎌倉駅前、小町通りまで渡御されます。

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[ 2013年01月12日 08:06 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

鎌倉えびす

妙厳山本覚寺 (JR横須賀線鎌倉駅徒歩5分)

鎌倉駅から若宮大路に出て右折、鎌倉郵便局の横を左折してすぐ、本覚寺の裏門があります。

小町大路、滑川に面した側の仁王門は工事中。

起源は源頼朝が鎌倉幕府の開いた際に、幕府の裏鬼門にあたる方向の鎮守として建てた夷堂(夷三郎社)が始まり。ここには文永11年(1274)に佐渡配流から帰った日蓮上人が滞在し、辻説法などの拠点にしていました。
その後、永享8年(1436)に一乗院日出が日蓮にゆかりの夷堂を日蓮宗に改め本覚寺を創建しました。

後に身延山を再興した行学院日朝は、身延山への参詣が困難な老人や女性のために、身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めました。そのため本覚寺は「東身延」と呼ばれています。本堂横には身延山より移した日蓮の遺骨を祀る日蓮御分骨堂があります。

明治時代に入ると夷堂は神仏分離令により本覚寺とは分離され、寺から200m弱離れた場所に、この地区の七面大明神、山王台権現を合祀して蛭子神社となりましたが、昭和56年(1981)に本覚寺境内に再び夷堂が再建され、本覚寺へと戻りました。
 

昨日は本えびす。正月3ヶ日の初えびすと1月10日の本えびすには福娘さんたちがお神酒をすすめたり、縁起物を販売しています。
 

福笹は、「商売繁盛、家内安全 お祈り申し上げま~す」と皆さんで御唱和していただけます。

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[ 2013年01月11日 08:52 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

スカイツリータウンで撮り鉄 その2

東京ソラマチ6階から。
 
 

ソラマチ押上駅側広場から。

ソラマチ押上駅側広場向かいの駐輪場から。
 
 

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[ 2013年01月10日 18:52 ] カテゴリ:乗り物~鉄道 | TB(0) | CM(0)

スカイツリータウンで撮り鉄 その1

スカイツリータウンの各地で撮り鉄してみました。単なる鉄なのか?、ヒット数稼ぎ?、とにかく撮ってみました。

450mから、とうきょうスカイツリー駅。

浅草駅を出発して、急カーブを曲がり隅田川を渡るスペーシア。

北十間川、枕橋付近。

.
340m、展望デッキ。ガラス床から。

東武のりょうもう号と、京成押上線を走る京急の電車。

.
もう少し低いところから。と言ってもイーストタワー30、31階からです。
 
 

曳舟駅を出発する東武亀戸線の2両編成の電車と、京成押上線の都営浅草線車両。

やはりコンデジだとちょっとボケますね。次回はもう少し下から。。。。

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[ 2013年01月09日 10:36 ] カテゴリ:乗り物~鉄道 | TB(0) | CM(0)

青山 川上庵

以前軽井沢で訪れたおそばの川上庵、東京の青山にある支店へ。表参道の交差点から赤坂方向へ歩いて3本目の路地、Francfranc Villageの角を右折して60m、住宅地の中にあります。

天ぷらはカキ、肉厚で美味しかったです。

毎日朝4時まで営業しています。

青山川上庵(HP)
東京都港区南青山3-14-1
営業時間11時半~27時半LO 定休日なし

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[ 2013年01月08日 07:58 ] カテゴリ:グルメ~都内 | TB(0) | CM(0)

川崎大師駅~元旦

川崎市川崎区、京急大師線の駅です。全国でも有数の初詣客が参拝する川崎大師の最寄駅。

開業は明治32年(1899)、京急電鉄のルーツでもある大師電気鉄道の大師駅として。京急最古の駅でもあります。

今年も電車にお正月用ヘッドマーク。

駅前の傍らには京急発祥の地の記念碑が。碑の周囲は整備され、碑の前はタイルで線路が描かれています。

駅前か川崎大師までは参道が伸びます。

.
元旦の川崎大師の様子~。
まずは山門前の仲見世。

道の両サイドの飴屋さんの飴を切る音が小気味よいです。

山門。

本堂前。

やっとの思いで本堂の入口まで来ました。振り向くと。。。。

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[ 2013年01月07日 09:14 ] カテゴリ:駅探訪~神奈川・伊豆 | TB(0) | CM(0)

白鬚橋

隅田川に架かる浅草駅前の吾妻橋より2キロほど上流にあるアーチ橋です。 橋長は168.8m、幅22.1m、竣工は昭和6年(1931)。
西岸(写真左)は荒川区南千住三丁目と台東区橋場二丁目、東岸は墨田区堤通一丁目と二丁目になり、橋名は東岸にある白鬚神社に因んでいます。

橋の上の通りは明治通りになります。

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[ 2013年01月06日 17:27 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)

たまひで いちの

スカイツリータウンの東京ソラマチ7階、親子丼発祥で人形町「玉ひで」の姉妹店です。

「いちの」というのは人形町本店の八代目御主人の娘さんのお名前。ソラマチのお店の責任者です。
「玉ひで」の味は一子相伝のため息子以外に継承するわけにはいかないとのこと。そこで本店と違う味を一から開発し鶏・卵・醤油もすべて変えたそうです。

写真は一番ポピュラーな、粋(いき)親子丼 いちの。

入口にかかっている書は石原慎太郎の揮毫。

久々に人形町に行きたくなったかな。

たまひで いちの
東京都墨田区押上1-1-2 東京ソラマチ7階
営業時間 11:00~21:00

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[ 2013年01月05日 07:27 ] カテゴリ:グルメ~都内 | TB(0) | CM(0)

離島キッチン@浅草エキミセ

リニューアルした東武鉄道浅草駅ビル。商業施設も昨年11月に「浅草エキミセ」としてグランドオープン

東武食品サービス株式会社と島根県隠岐諸島 中ノ島の海士町観光協会が業務提携を行い、島の郷土料理、島の食材等を用いたレストラン、「離島キッチン」がオープン。

島ですから海鮮モノといくところですが、今回はさざえカレー。島ではなかなか肉が手に入らないことから、肉の代わりにさざえやアワビなどの魚介類をカレーに入れたのがはじまりなんだそうです。
 

さざえの歯ごたえが抜群です。

最後に、屋上「浅草ハレテラス」からのスカイツリーの眺め。

柵の上部がワイヤーになったり、展望デッキが設置され、スカイツリーが足元までよ~く見えます。 目の前に高層マンションが建ちませんように。

離島キッチン浅草EKIMISE店
東武スカイツリーライン浅草駅  浅草EKIMISE7階
営業時間 11:00~21:30(LO)

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[ 2013年01月04日 07:51 ] カテゴリ:グルメ~都内 | TB(0) | CM(0)

隈研吾6 浅草文化観光センター

浅草寺雷門前に建つ台東区の観光案内施設です。

昨年の4月に完成しましたが、計画当初は浅草寺側から雷門がセンターの日陰になり、門でお奉りしている風神、雷神に申し訳ないとクレームがあったそうです。

1階は案内カウンター、チケットぴあ、そして外国人から要望の多かった外貨両替所。
 
 
 

途中階は観光情報コーナーや、展示スペースおよび大中小会議室。最上階の8階は喫茶室と、無料の展望テラス。

スカイツリーや浅草寺のビュースポットとしては穴場です。いまのところ。
  
 

設計は隈研吾。内部はキャピトル東急とクリソツです嬉しい顔

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[ 2013年01月03日 07:23 ] カテゴリ:建築探訪~隈研吾 | TB(0) | CM(0)

浅草神社

浅草神社 (東武線、東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、それぞれの浅草駅から徒歩7分 つくばエクスプレス浅草駅より徒歩10分)
〈御祭神〉土師真中知命、檜前浜成命、檜前武成命

浅草寺本堂の東隣に隣接する神社です。浅草寺とは密接な関係ですが、浅草寺本堂ほど参拝客は多くないような。。。。

浅草寺の創建は、推古天皇36年(628)、檜前浜成・武成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ網に観音像がかかり、郷司の土師真中知に相談した所、土師真中知は深く帰依し、その後 出家し、自宅を寺としたということでしたが、土師真中知の死後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れました。観音菩薩は中知・浜成・武成を神として祀るようお告げたそうで、これが浅草神社の起源であるとしています。浅草神社が三社様といわれろのもこの3柱の祭神からで、毎年5月に行われる江戸三大祭りのひとつ、三社祭は浅草神社の例祭です。

これによると創建は1300年以上昔ということになりますが、実際のところ平安の末期から鎌倉にかけての頃、3氏の末裔が浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されています。

色艶やかな社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649)に完成したもの。平成8年(1996)に修復されました。

浅草神社 ホームページ http://www.asakusajinja.jp/

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[ 2013年01月02日 05:25 ] カテゴリ:百寺社巡礼~都内 | TB(0) | CM(0)

浅草寺

金龍山浅草寺 
(東武スカイツリーライン、東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、つくばエキスプレスのそれぞれの浅草駅より徒歩5分)

東京有数の観光スポットとして内外の観光客でにぎわう浅草、その中心の浅草寺です。

都内最古のお寺でもある浅草寺の草創は推古天皇36年(628年)、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網に仏像がかかりました。これが浅草寺本尊の聖観音像。この像を拝し、帰依した郷司の土師真中知は、のちに出家し、自宅を寺に改めて供養したのが始まり。

 

宗派は元々 天台宗に属していましたが、昭和25年(1950)に聖観音宗を立ち上げて独立し、支院25ヵ寺,末社18舎をひきいる総本山となりました。

浅草の顔でもある雷門は、浅草寺の総門にあたります。天慶5年(942)平公雅によって創建され、初めは駒形付近にあったそうです。鎌倉時代以降現在地に移築された際に風神・雷神が初めて奉安されました。

現在の雷門は、慶応元年(1865)の大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)に松下幸之助の寄進により復興再建されました。提灯には松下電器の名前が。

雷門から伸びる仲見世。江戸時代になり、浅草寺への参拝客も一層賑わうにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたのがの始まりで、日本最古の商店街のひとつです。

仲見世を通り抜けると宝蔵門にたどり着きます。浅草寺の山門としての役割のほか、内部三層のうち上部二層に近代的防災設備を施した収蔵室を設け、浅草寺の什宝物を収蔵しています。
ホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎の寄進により昭和39年(1964)に再建されました。

五重塔は天慶5年(942)に平公雅が本堂と共に建立したのが初め。その後 数度倒壊、炎上に遭い、幾度と再建されました。現在の塔は太平洋戦争による焼失後、昭和48年(1973)に再建。

本堂も昭和33年(1958)に再建されたもの。太平洋戦争で焼失した、徳川家光建立の旧本堂と同形態で一回り大きくした感じの規模。

内陣中央のとばりが掛けられている場所は御宮殿(ごくうでん)と呼ばれています。秘仏の御本尊 聖観世音菩薩、毎年12月13日に開扉される慈覚大師作の御前立御本尊等が安置されています。

スカイツリーも出来て、更に大賑わい。

浅草寺 ホームページ http://www.senso-ji.jp/

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[ 2013年01月01日 20:16 ] カテゴリ:百寺社巡礼~都内 | TB(0) | CM(0)

明けましておめでとうございます

浅草寺仲見世にて。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 (絵馬の左側だけ、修正してあります。)
2013.1.1 yukimi's blog

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[ 2013年01月01日 00:00 ] カテゴリ:yukimis blog | TB(0) | CM(0)
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