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新川崎駅

神奈川県川崎市幸区、JR貨物の新鶴見信号所や機関区の片端にある横須賀線の駅です。
従来大船~東京間で東海道線と同じ線路を走っていた横須賀線を、貨物専用線だった品鶴線経由に変更したのが昭和55年(1980)。その際に開業しました。
 

駅舎は新鶴見操車場(当時)に架かる鹿島田跨線橋い面したところに出入り口がある橋上駅で、駅前には商店街もなくだだっ広い操車場跡地が広がるばかりです。後ろの2棟のビルは新川崎三井ビルディング。平成元年(1989)竣工。景気低迷で操車場跡地を利用した駅近隣の再開発もなかなか進んでいない感じです。

成田エクスプレスは通過です。

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[ 2010年10月31日 10:10 ] カテゴリ:駅探訪~神奈川・伊豆 | TB(0) | CM(0)

新鶴見操車場

 

川崎市中原区、幸区、横浜市鶴見区にはかつて巨大な鉄道貨物の仕分けを行う操車場がありました。建設計画が出されたのは大正14年(1925)と古く、昭和4年(1929年)に新鶴見操車場が開設されました。都心を経由する貨物の中継点おして全長約5.2キロメートル、面積24万坪と東洋一の広さを有していました。
今から30年くらい前の様子です。
 
 

日本の貨物列車の輸送形態は、かつては貨物列車をこの様な操車場で組替えながら貨車を継送し各駅で貨車を解結するヤード輸送方式が主流ででしたが、昭和59年(1984)からは全て拠点間直行輸送になり、新鶴見操車場も機関車の交換などのための信号場になりました。
 
 

広大な遊休地は、所々マンションや企業の研究施設が建つなど再開発が進みましたが、まだ多くの空き地が残っています。
 
 
 

周囲に高い建物も増えてきましたが、誇線橋からみる空の眺めは爽快です。
 
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[ 2010年10月28日 07:54 ] カテゴリ:乗り物~鉄道 | TB(0) | CM(0)

横須賀線 多摩川橋梁

またまたJR横須賀線・湘南新宿ラインの電車や貨物列車の走る多摩川橋梁です。

東海道本線の貨物専用線(通称品鶴線)の橋梁として建設されましたが、昭和55年(1980)東海道線と横須賀線の分離による旅客線化、平成3年(1991)成田エクスプレスの登場およびその後の増発、平成13年(2001)の湘南新宿ラインの開設と通過する電車も増えてきました。
 
 
 

橋が完成したのは品鶴線が開通した昭和3年。
写真は横須賀線も走る以前、貨物列車オンリーの頃。コンクリートの橋桁は耐震補強されましたが、トラス橋の鉄骨は変わりません。
 
 
 

EF15の偶然撮れた流し撮り。
 

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[ 2010年10月25日 07:31 ] カテゴリ:乗り物~鉄道 | TB(0) | CM(0)

沼部~鵜の木

東京都大田区鵜の木三丁目。東急多摩川線沼部駅と鵜の木駅の間です。この区間は一直線で多摩川線の中でも2番目に長い駅間距離があります。と言っても1.1kmですが。。。

かつては乗り越しや経路変更のお客の、車掌さんによる車内での清算のため、直線なのにあえて速度を上げずに走行していたのも、ワンマン運転の今日に比べたら懐かしい話です。でも3両編成は変わりませんね(笑)。

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[ 2010年10月21日 07:29 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)

隈研吾2 東急キャピトルタワー(ザ キャピトルホテル東急)

東京都千代田区永田町。国会議事堂、議員会館、首相官邸の背後に完成したホテル・オフィスの複合ビル。東急キャピトルタワーです。

隣に日枝神社が鎮座するこの地は明治16年(1883)に岩倉具視の援助により「星岡茶寮」という料亭が開かれ、関東大震災後に北大路魯山人によって借り受けられ、大正14年(1925)に美食倶楽部の会員制の名門料亭「星ヶ岡茶寮」となりました。

 

戦後は一帯の土地を東急グループが買い取り、昭和38年(1963)には東京オリンピック開催に向けて、東急グループがアメリカのヒルトンと合弁で「東京ヒルトンホテル」を開業させました。

 

ザ・ビートルズが宿泊するなど、多くの内外著名人に親しまれましたが、東急とヒルトンとの20年間の運営受託契約が終了した昭和59年(1984)元日からは東急ホテルズのフラッグシップホテル「キャピトル東急ホテル」に生まれ変わりました。

 

その後平成18年(2006)には建て替えのため営業を休止し、そしてこのたび、いよいよ東急ホテルズの新たに「ザキャピトルホテル東急」として再スタートをきります。建物のデザインアーキテクトは隈研吾氏。

 

日枝神社側の玄関。最後の仕上げという状況でしょうか。
 
 

首相官邸側の正面玄関。地下鉄の溜池山王駅とも直結されます。

オープンはいよいよ10月22日金曜日 大安。

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[ 2010年10月18日 07:45 ] カテゴリ:建築探訪~隈研吾 | TB(0) | CM(0)

山王 日枝神社

日枝神社  (東京メトロ銀座線、南北線溜池山王駅徒歩数分)
〈御祭神〉大山咋神

東京都千代田区永田町、国会や首相官邸など日本の政治の中枢からも近い場所に鎮座する日枝神社です。

創建の年代は不詳ですが、武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏がお祀りし、さらに文明10年(1478)、太田道灌が江戸城築城の際に鎮護の神として川越山王社を勧請しました。

天正18年(1590)徳川家康が江戸城を居城とするに至っては「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、また江戸の市民からは江戸の総氏神として崇敬されました。例大祭の山王祭は江戸三大祭の一つです。

二代将軍徳川秀忠の時の江戸城大改造の際には、社地を江戸城内紅葉山より現在の国立劇場附近に遷されましたが、明暦3年(1657)、明暦の大火による社殿焼失後、徳川家綱は直ちに松平忠房の邸地を社地に充て、万治2年(1659)、江戸城の裏鬼門にあたる現在の地に遷祀されています。

明治元年(1868)には准勅祭社に指定され、その後、皇城鎮護の神社とされ大正元年(1912)には官幣大社に昇格しました。

吉日には結婚式を神前で挙げられる方々も多く、この日は空も門出を祝う好天でした。

日枝神社や日吉大社など大山咋神を祀った神社に用いられる特徴的な「山王鳥居」。 鳥居の笠木の部分の上端に合掌のように破風を付したデザインが独特です。

日枝神社の神様のお使は猿といわれています。神門には夫婦猿の像が安置されています。

近隣の再開発とともに境内周辺もきれいに整備され、外堀通り側の裏参道には大鳥居が建ち、丘の上の境内へはなんとエスカレータで行けます。
 

七五三のご祈祷を受けた子供には、記念品としてお守り・小破魔矢・千歳飴の他に女の子には巫女さん装束のオリジナルリカちゃん、男の子にはオリジナルチョロQがいただけるそうです。非売品なのでレアかも。

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[ 2010年10月17日 09:56 ] カテゴリ:百寺社巡礼~都内 | TB(0) | CM(0)

住吉神社

住吉神社(川崎市中原区) (東急東横線元住吉駅徒歩1分)

神奈川県川崎市中原区木月、東横線元住吉駅西口出口から高架下沿いに武蔵小杉方向にちょこっと歩いたところに鎮座します。

川崎市中原区木月の総鎮守でもある住吉神社はかつては矢倉神社(木月字矢倉407)と称していましたが、明治42年に村内に鎮座していた以下の10社を合祀し、当時の村名をとり住吉神社と称しました。現在の社殿は昭和34年(1959)築。

天照皇大神宮(木月字伊勢町2274)
八幡神社(八幡町1633)
子ノ神社 (田中1908)
八雲神社(天王森1099)
春日神社(春日町1976)
天満神社(中ノ町813)
白山神社(上ノ町996)
稲荷神社(稲荷町739)
諏訪神社(諏訪町1302)
神明神社(上ノ町1035)

という経緯から御祭神も、色々な御利益がありそうなくらいにバラエティに富んでいます。

〈御祭神〉天照皇大御神、天津児屋根命、誉田別命 、大国主命、須佐之男命、菅原道真、菊理姫命、倉稲魂命、建御名方命

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[ 2010年10月16日 07:40 ] カテゴリ:百寺社巡礼~神奈川、伊豆 | TB(0) | CM(0)

線路の向こう

東急東横線・目黒線元住吉駅改札前広場からは、武蔵小杉や東京方面の見晴らしがよく、電車好きの子供じゃなくても、つい見入ってしまいます。

武蔵小杉駅に向かって真っ直ぐ伸びている線路の先には。。。。なんと渋谷のセルリアンタワー。結構、大きいんですね。

手前の緑は大田区の多摩川台公園の緑、カトリック田園調布教会も見えます。

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[ 2010年10月14日 07:48 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)

東横線 元住吉駅

かつてyukimi's blog の駅探訪カテゴリの第一弾でこの駅を取り上げました。当時はまだケータイしか持っていなかったので、今回再度デジカメで撮ってみました。

現在の高架化された駅が出来たのは平成18年(2006)。かつては地上に上下線島式ホーム1面ずつあり、駅舎は地下にありました。写真は27年前の元住吉駅。営団地下鉄日比谷線の3000系と東急7000系車両が懐かしいです。

しかし元住吉には東横線車両の検車区があるため、駅前の踏み切りは残り、検車区を入出庫や入れ替え作業の時は遮断機が降ります。
 

そのため、高架化しても高架下のスペースが使えず駅舎は線路の上にあります。ずいぶんと長いエスカレータです。

コンセプトは「人と環境にやさしい駅」。
改札口前の広場には植栽とベンチが設置され、目の前の透明な壁からいい眺めです。

ホーム屋根は照明負荷を軽減する膜屋根。

ホーム屋根やコンコース屋根に太陽光発電システムを設置。元住吉駅の最大使用電力の15%がまかなえます。
 
 

そのほかトイレの水は、一部、ホームや線路に降り注いだ雨水をホーム下に貯めたものを使用しているそうです。

環境には関係ありませんがコンコースのちょうど渋谷方面の線路の上には。。

晴れた日にはつい立ち寄ってしまう駅です。

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[ 2010年10月12日 07:30 ] カテゴリ:駅探訪~神奈川・伊豆 | TB(0) | CM(0)

東急百貨店東横店

渋谷駅にまたがるように建っている東急百貨店東横店です。東急百貨店東横店の前身である、東横百貨店写真の西口の裏手、東横線の改札口前の東館の建物は昭和9年(1934)創業。ハチ公広場前の西館は昭和29年(1954)の増築、西口広場前の南館は昭和45年(1970)築です。

だいぶ、建物も老朽化しています。東横線渋谷駅地下化後の駅、周辺施設の改良が楽しみです。

平成21年6月公表 渋谷駅街区基盤整備都市計画

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[ 2010年10月09日 09:07 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)

池上線 五反田駅

東急池上線の終点、東京都品川区にある五反田駅です。
 

池上線の改札口は駅ビル「レミィ五反田」の4階。地上や歩道橋からは駅ビル内のエスカレータやエレベータを利用しますが、山手線からの連絡通路は階段のみです。前身は白木屋五反田店でした。
   

池上線の五反田駅が開業したのは昭和3年(1928)6月。当初、山手線の上を越えて延伸する計画があり、ひとつ手前の大崎広小路駅から山手通り、目黒川を超え、このような高いところへ駅が出来ることになりました。
 
  
 

現在みたいに高いビルがなかった頃、ホームからの眺めは展望台のごとく見晴らしがよかったそうです。

ホーム屋根は木造のままです。ホーム柵がなかった頃は先端はかなり怖いです。

池上線と山手線の連絡通路は、いつになったらバリアフリー化されるかな。
 

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[ 2010年10月06日 07:37 ] カテゴリ:駅探訪~東京23区 | TB(0) | CM(0)

目黒蒲田電鉄

東急多摩川線の前身、目黒蒲田電鉄が旧東急目蒲線でもある目黒-蒲田間で全通したのは大正12年(1923) 11月。
現在は横須賀線や湘南新宿ラインが走っている路線は、昭和4年に東海道線の貨物線として開業しました。通称品鶴線。多摩川の手前、大田区の台地部を掘割で走ってきた路線は、多摩川手前の低地部は盛り土の上を走り多摩川橋梁に向かいます。その盛り土区間の間に、東急多摩川線と道路を越える橋梁部分があるのですが。。。

なんと橋梁名が「目蒲電鉄乗越橋架〇〇」。昔のプレートが残っているのかとおもいきや、JR東日本が設置したプレートにも「目蒲電鉄乗越橋梁」と記載されています。

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[ 2010年10月02日 08:32 ] カテゴリ:乗り物~鉄道 | TB(0) | CM(0)

丸子信号場

下のgoo地図を開き、昭和38年の地図をクリックしてご覧下さい。東京都大田区、東急多摩川線沼部駅付近の地図です。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.40.37.189N35.34.41.852&ZM=11
多摩川を渡る線路が現在の横須賀線・湘南新宿ライン。当時は品鶴線と呼ばれた貨物線でした。川の手前で交差しているのが東急多摩川線、当時の目蒲線です。まだ東海道新幹線も工事中でした。その多摩川線を交差するあたりから多摩川の方へカーブ状の土地があるのが分かります。

これは品鶴線から分岐し、大田区下丸子の三菱重工業東京機器製作所丸子工場に至る専用線の跡です。この分岐する手前、下の写真の辺り、丁度、現在の田園調布高校の横辺りに丸子信号場がありました。
 

信号場開設前の昭和24年(1949)末からあったこの専用線は、当時、在日米軍の管理下におかれていた同工場で修理する戦車を搬入するために使用されており、翌年昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると大量の戦車が送られてきました。
 

朝鮮戦争が休戦すると列車の入線は激減し、昭和31年(1956)に同工場の米軍管理が終了すると専用線も使用されなくなりました。昭和32年には丸子信号場は廃止され、今ではまったく線路の面影はどこを探しても見当たりません。
 

唯一当時の面影かなと思われるのは、現在、東急多摩川線と交差する部分の盛り土に残る橋桁。ここから東急線を超え、左にカーブして土手沿いを工場に線路が延びていたのでしょう。
 
 
 
 
三菱重工業の工場もその後、三菱自動車工業の工場になり、現在はマンションが立ち並んでいます。近くの堤防入り口の道路には工場跡地を物語る碑がおかれています。
 
 

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[ 2010年10月01日 07:17 ] カテゴリ:街角 | TB(0) | CM(0)
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