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すずめのお宿緑地公園

碑文谷八幡宮の裏手の道を挟んで向かいにある林。公園なんですが名前が「すずめのお宿緑地公園」。(東急バス黒01系統 目黒駅-大岡山小学校 碑文谷三丁目バス停下車徒歩1分) 由来を知るまでは何か童話の舞台になった場所かと思いましたが、真実は違いました。   目黒区HP 
この付近は、昭和のはじめまで目黒でも有数の竹林で、良いタケノコがとれました。竹林にはたくさんのすずめが住みつき、朝早く飛び立ち、夕方には群れをなして帰ってくることから、いつしか人々は、ここを「すずめのお宿」と呼ぶようになりました。とてもここが目黒区とは思えないほどの自然です。タケノコがニョキニョキといたるところで伸びていました。

この土地の所有者、角田セイさんは、長年ここで1人暮らしをしていましたが、「土地は自分の死後お国に返したい」といって大事にしておられたそうです。
その尊いご遺志が生かされて、角田セイさんの没後、目黒区が国からこの土地をを借り受けて公園を造り現在に至っています。

竹林の他、シイ・ケヤキの大木が残り、野鳥が多く生息しています。なお敷地の北側の一角には目黒区緑ヶ丘1丁目にあった栗山家の母屋が移築され、無料公開されています。

[ 2008年04月20日 19:12 ] カテゴリ:お出かけ | TB(0) | CM(0)

円融寺

経王山 円融寺(東急バス渋71系統 渋谷駅東口-洗足駅 円融寺前バス停下車)

碑文谷八幡宮の一の鳥居から碑文谷緑道を150メートル行き、左折すると総門が見えてきます。「江戸名所図絵」によると、昔は碑文谷八幡宮と円融寺の間を立会川が流れていたみたいです。
地味な総門に似合わず、今日に至るまで円融寺には波乱の歴史があります。
草創は853年、慈覚大師の開基により、当時は法服寺と号し創建されました。しかし1283年に日蓮聖人の高弟日源上人により日蓮宗に改宗され、寺号も妙光山法華寺と改められました。
江戸時代に入り、最盛期には3万7千坪あまりの広大な境内を擁し、将軍の鷹狩の折にはお休みどころに供されたほどの、江戸屈指の名刹であり、門前には露店が軒を連ね、参詣者で大変な賑わいがあったそうです。
しかし、法華経の信者以外にはお布施を受けず、施さずという、不受不施の主義を堅持しました。そのため幕府の法要等にも参加しなかったこと等から、体制批判の一派として幕府の弾圧が厳しくなり、大禁圧が加えられた1698年、再び天台宗に改宗することになりました。改宗後、法華寺の権威も衰え1834年には今の山号寺号に改称された。

主要な伽藍の配置は禅寺によくみられるような縦一列です。
仁王門、左右に安置されている木造の仁王尊は1559年に作られ、天台宗改宗後には「碑文谷仁王」の名前で親しまれ、多くの江戸庶民が訪れ、賑わったそうです。
釈迦堂は木造建築としては都内でも有数の古さであり、室町初期の建立と推定され、国の重要文化財です。建物の周りには柵もなく間近で見れます。

以前、世田谷大蔵の妙法寺の時にお話しましたが、妙法寺の現在の山門は法華寺時代の当寺の庫裡の門が使われています。
2008.3.29 妙法寺(世田谷区)しだれ桜 の記事
御朱印は庫裡で戴きましたが、今月、両方のお寺を訪れたのも何かのご縁でしょうか。

総門を入ろうとした時、どこか見覚えのある風景だなあと感じていましたが、実は、円融寺の総門の前は今までに何度も通ったことがあったことに気がつきました。それも深夜に。
渋谷方面から環七通りへタクシーで向かう際の抜け道として、頻繁に使っていました。碑文谷ダイエー横から進み、ちょうど総門前でくの字に道が曲がるので、いつもタクシーの運転手さんに指示していた場所だったのです。深夜で真っ暗だったのでそこが円融寺の入り口だったとは。。。これも何かのご縁でしょうか、境内に入る前にちょっとビックリしてしまいました。
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[ 2008年04月20日 09:18 ] カテゴリ:百寺社巡礼~都内 | TB(0) | CM(0)
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